『破』の碇シンジなら夜神月を止められるかも知れない

リアリズムとリアリティは違う
リアリズムは現実主義、見えるところまでしか世界はない
或いは見えるもの以外がリアルであるという設定
リアリティは、作家の表現における世界の整合性だ
その世界は今や現実だけじゃなく、「夢が蔓延した現実」こそがリアリティだといえる状況になった。
つまり夢と現実の境目はとうに消えたことになる。夢と現実を引き離すことはもうできず、即ち夢だけを終わらせることはできない。
そのリアリティが今のエヴァ、テレビシリーズのエヴァとの違いを生み、それこそがエヴァを繰り返すことの必然性といえる。
目が覚めたまま夢を見、きっともう終わることのない夢が現実を侵して、何が世界を変えることができるのか
それは願いと意思の力なのか?
それによって世界が終わろうとも、(終わることは前提かもしれない)それでもやるという決断 それは決断主義とは少し違う。
目的も手段も混同していて、明確なことは、「そうしたかったから」それだけだ。
確かに、『破』でのシンジなら夜神月を止められるかもしれない。
ひきこもって何の抵抗もできないまま殺されるのでもなく、戦って何かを達成できない恐怖もない。ただそこには欲望と願望だけがあって、その衝動だけが主人公たりえる資格になる。
もし誰かの意思によって世界が終わっても、それはその「誰か」が侵食したセカイだけでしかないが、夢も現実も繋がってる。
それが連鎖して、この世界は本当に終わることができるかもしれない。
終わらせないことを目的とするなら、話は変わってくる。でも私の中はどうしても「世界の終わり」に取り残され、この終わり損ねた世界をどうにか終わらせたいと思う私が多数だ。
今終わらせずに新しく何かを始めることは可能なんだろうか
破壊なしに再生することは可能か?
すでに自己崩壊している感はあるけど、何か他人事な感じが否めなくてそれが嫌だ。
あ これはすごく個人的な感情かも
感情はいつだって個人的だけど

また終わり損ねそうな感じがするんですよね
終わり続けているこの世界で未だに終わらせることができてない感じ
全然納得できないし
これが終わる世界なら何て下らないんだ。
世界の終わりはもっと美しくなくちゃいけない!
終わりはネガティブじゃない ポジティブだ。
暗くも明るくもない、ただ曖昧で固定された灰色なだけの終わりには便乗したくない。
世界は確かに不確定だけど、だからこそ私は私を譲らない。私をいなくさせたりしない。
私は私の世界の終わりを演出して世界を終わらせてみせる

作家として庵野さんに負けたくない
いやまぁ勝ち負けじゃないけど世界が終わる美しさは、きっと私の中にもある、その美しさはまだちゃんとあるはず

結局ここで言ってる「世界」は、セカイであり、それすらも含めた世界でもある。
何を世界と定義するかは個人の勝手だ。
私が終わらせたい世界は、オタクカルチャーとか、サブカルとかでの話じゃなくて
本当は何にも面白くなんてない、生の、せかいだ
そして、夢の、終わりだ
死 以外の終わりの可能性を信じてる とも言えるのかな
世界は見えるところまでしかないし、私には手の届く範囲にも見えないものがある。
そういう自覚のもと、この時代で何を以て生きていることを証明できるのか
こういうネタは、面白いなぁ
昔のことなんて今はどうでもいいんだよ
今を知りたい そしてその先を知りたい
あまりにも不安だから