墜落する ループ

もー 履修登録!が!できない
システムの不備で登録が完了されない!面倒臭いな
一限から行くのはかなり億劫だけどフラッシュが使えるようになりたいので頑張って行ってみることにする 夏前だし 朝は行けるでしょう たぶん
 
相対性理論、ラブずっきゅんがあんまり好きくなくて避けてたけどハイファイ新書いいです 透明感?空間がゆらぐ感じが好き
 
ぐちゃぐちゃ する
音楽はもう救いでもリアルでもなんでもない
音は音でしかない 音楽はまた違う優しさで話かけてくる
 
なんでミュージックビデオに興味がないのか少し考えてみたけど、
音は、「見えないのに確かにある」ものの代表的な存在で
それが目に見えて存在してしまうと、音が霞んで見えなくなるんだ だからかな
本人が歌ってる姿だけだとしても、まぁライブはまた違うけど
それでも聞こえるはずの音が聞こえなくなる それは何かを見ることに対する執着みたいな、そういうもののせいで音と映像を全部許容しようとするとキャパを超えるから音が先にカットされるんではないかな
人は見えるものに囚われすぎているからな
 
ライブは、聞こえない音が沢山聞こえる
見えるものから見えないものが沢山生まれるイメージ
ブラウン管や液晶には匂いも感触も、空間が繋がらないから見えるものだけになってしまうのかな
 
それでもひとつの作品としてMVを見れるようになれればそれで済むことなんだけど
音楽は救いだとか全てだとか拠り所にしてる人たちも多いだろうから、そういう人にとったら邪道なんだろうなとは思う
実際MVを見てアーティスト本人の意図がより分かったりすることもあるし、コバルトブルーみたいに聞こえない音が聞こえてきたりするものも確かに存在するし、
それでもやっぱり作品の本質は、作者だけじゃなくて鑑賞者のものだとも思うから
それを侵してしまうような(人数を考えれば避けられないことだけど少しでもその被害を増やすような)そんなMVはいらないと思う 必要性がない
コラボしました。楽しかったです。みたいなものも実際多いと感じるし、どんな風になるとしても音楽と美術をくっつけることが中学のときからの目標みたいなとこあったけど、
矛盾とは違うくて、沢山のものを知って何か大切にしたいものができると、疑い直さないといけなくなるんだね
諸行無常
 
だめだな、一般化しないと受け入れられないなんて
表現者としても悲しい
なんでも言葉にしないと気が済まない
なんでも言葉にできる訳じゃないのは身を以て知ってる
それでも表現を諦められない
この執着は どこまで赦されるかな
ハイファイ新書 プラネテス(2) (モーニング KC)