すべてが愚かしい

最近よく考えるのは
戦争のこと、日本のこと、正しいこと、正しくないこと

70年というのは、だいたい人の一生を考えるのに丁度良い時間なのだと思う
安保法案もあって大きく取りざたされた面もあるのかもしれないけど
戦争を体験した世代、想像の中で戦争を体感した世代、昔話のように空想する世代、様々な感覚を持った人が混在する特別な節目なんだろう。
あえて「戦争を知らない世代」と言いたくないのは
知らないことの罪悪感みたいなものとか、様々な体験談や映像の中で過剰な想像をしたりとか、
つまり私がそんな感覚を持っていて
「知らない」というのは弱者なのではないかと思う
「知らなくていいこと」な面もあるかもしれないけれど
それでも「知っている」ことの正しさみたいなものに、プレッシャーを感じることがある
気持ちに寄り添って、事実だけを受け止めることの困難さよ
「あなたは知らないだろうけど、こんな悲しいことがあった。」
それに対して、どんな態度でいることが正解なのか私にはわからない
「あなたは幸せだ」
これに対しては、幸せは自ら定義するものだと思っているので反発するけど
今の時代だからこそあたり前にある尊厳や自由や権利を言っているのは分かる。
逆に、昔はあたり前にあったことが今はあたり前でなくなっているものもある。
結婚や出産が身近だな。10代でお見合いをして結婚して出産して。仕事の代わりに家庭に入る。
フェミニストには怒られるかもしれないけど私にとってはその方が幸せじゃないかと思えてしまう。
なんでも思い込みだ。
あたり前だという思い込み。
疑うことでしか前に進めない。
だから70年という節目に、大勢が平和を疑ってみたのかもしれない。
安保法案ももしかしたらそういうことなのかもしれない。勉強不足でわからないけど