世界の名を問う

作品は、世界のなかに散乱すると同時に、作品について考える私の頭のなかに閉じ込められる。そこで頭の内側と外側も反転する。その時に作品は、場所を失うことで存在を得る。
「作品はどこにあるのか?」古谷利裕 『美術手帖』P,180

 
私は世界のものだった
そしていつか世界になるのか? 
夢は見たい
夢や現実、セカイや世界
作品はその全ての空間に存在することができて
「境界」を曖昧にして、より正確に真実を問うことができる
作品は答えじゃない
少なくとも現代美術はそうだと思う
「過去」の作品は答えとして認識されるのかも知れない
その時代で「現代美術」だったものは未来で答えが出るのかな
だから問い なのか
デュシャンなんか分かりやすい
あの頃、問いとして投げ掛けた行為が 今はひとつの答えとして受け継がれている
そこからまた新たな問いが生まれて
 
制作においてはどんな行為も常に真実を問うている、のではないだろうかと思う
 
世界と対話するためにも問いは必要な要素だ
疑わない、というのもとても大切だけれど
疑っても疑いきれない何かに出逢うまで問い続けることが重要だ〜