撃って離脱

美術
美術…

世界を彩る行為
世界の美しいことを再現してストレートな意味で日常を彩ることができる
世界の悲しいことを再現してストレートな意味で日常を彩ることができる
 
悲しみだって、もう一種のカジュアルに成り下がってる?
違うな…悲しみの再現は生の再認識のための行為
悲しみだけじゃなくて、嬉しいことも楽しいことも辛いことも懐かしいこともあらゆる感情の全て、いくらでも詰め込んで再現できるのが美術であってほしい
言葉はその部分しか拾えない
 
再現が生の再認識のための行為なら
美術は私にとってやっぱり手段 なんだろう
 
美術を手段として果たしたい目的が作家それぞれで違うだけで
若しくは目的のその先が違う のか
 
「世界をどうしたい?」って聞かれたら、
昔なら「終わらせたい」って言っただろうけど
今ならどうにもしないって言うかな…ただ見たいものや感じたいことがあるから世界をもっと彩りたいって言うかな
わぁうちの名前って偉大だな
 
世界は自分が死んでも終わらないみたいだし、じゃあ何をしてもいいかなって 逆に
終わらせようと思うとしなきゃいけないことがいっぱいあって、まずそれを把握するのに必死になってたけど
今はもっと気楽
頭がぐあーってなってたのは終わらせたがってたからなんだな
所謂パラドクスに陥っていたんだなたぶん
 
それで。
大事なのはここからなんだ
美術がただの手段なら
もっと詰まらないはずなんだ 美術って
美術がやっぱりこんなに面白いのは、
手段としての役割を越えた何かを生むからかなって最近 考えてて
見る度に触れる度に作品も鑑賞者も心地好く変化していく
懐の大きさっていうか
まだ上手く言葉にならないけど
優しい んだな
作品 対 人でも優しさって生まれる
人と人の間にしか生まれないのが優しさなら
作品も人だなぁ
 
制作って、子育てみたいだもんな…
子育てしたことないから分からないけど
明るい絶望作ってたときは、優しい子になってねって感じで触ってたなぁ
創造するイメージ
神にでもなった気で
でもただの人間
そういう空間での創造を制作って呼ぶのかな
とりあえずそう呼んどこう
作品が人を越えた何かになったりもするんだろうし
 
なんかこう、もっとズバッと言いたいけど
ズバッと言うともっと難しくなっちゃうんだなぁ…
理解してもらおうと思うと、もっと長くなるから時間もかかるしグダグダになる
ポロポロ溢すみたいに喋れたらいいな
拾ってもらえるくらいのテンポで