徒然なるままに

スピッツの「流れ星」という曲はとても不思議で
他のどんな曲にでもある匂いとか、色とか、そういうものが無くって
何の先入観もなしに…ああ語彙が少ない 優しくてやらかいだけのイメージに放り込まれる
いつ聞いても気になる曲 飽きない
こういう絵が描けたら良いのに と思う
こういう写真が撮れたらいいのに と思う
こういう音がつくれたらいいのに とは思わない
 
昔考えてたことで
なんで音楽は誰でも聞くし、誰でも大好きなのに(誰でもっていうのは不特定多数)
美術は音楽ほど必要とされないんだろうかっていう こんな風に言ってしまうとなんだか陳腐な疑問に対する、その頃の私の回答が
音楽は見えないからだっていう もので
それは「動物は喋らないから可愛い」とかそういう皮肉とも似てるのかも知れないけど
人の持つ感覚は五つありますが やっぱり一番活躍してるのは視覚ですね
頼り過ぎているっていう意味であって、本当はどの器官もちゃんと平等に活躍してるはずですが
認識するっていうことにおいて視覚というものは、他人との共通感覚として捉えられがちだ。
「隣にいる人が同じものを見ている」ということを信じなければ生活できないからだと思う。
それに比べて聴覚や嗅覚なんてものはとても曖昧…
例えば、絶対音感のある人とない人で、楽器の音の聞こえ方は同じだとしても認識の仕方は違う。
「隣にいる人が同じように感じている」とは私は思わない。音楽をやってきた人と、やってない人とでは聞こえている音が違うといっていいと思う。
だから本人は、視覚ほどは、聴覚を信じていないといえる。
それは生活においての話で、つまり、他人と感覚を共有するために信じなければいけない要素ではないのではないか
っていう…
あややこしい
みんな(不特定多数)が見ているものは同じ っていう暗黙の了解が世の中にはあります
音楽は見えないからそれに囚われない 個々の自由に認識し、扱える。
色よりも、音は自由だ 使う方にしても、鑑賞する方にしても。
コントロールできない思い込み(既成概念)が少ないから、「こう感じなければいけない」という強迫観念が視覚ほどはない。
 
絵ってさ、具象でも抽象でも、そこには何かモチーフがあると思うんだ
その視覚情報に、匂いとか、音とか、空気とかを混ぜて出来上がるもんだと思ってるんだ
だから、私にはこう見えるからこう描きましたっていうのは正しい言葉で
でもそこから鑑賞者に求められるのは、それが自分の感覚を超えて面白いかってところだと思う
鑑賞者が感じている世界の方が美しければ、きっとすぐ忘れられてしまう
美術は基本、視覚を刺激するものだから
そこにある、見る事に対する共通概念をどう乗り越えるかっていうのはとても大切
でもそれは中々難しいから、一般の人たちまで届くくらいの作品数にはならない
だから美術は音楽ほど普及しない
っていうのがその時の私の回答ですが
 
ここでースピッツの「流れ星」に話を戻すと
この曲は私の見てる夢ととても似てるから だからとても自由
音でこういうのを作るのって、美術ほど難しくはない
だから美術でこういう作品作れたらいいなぁって
誰でも自由になれる作品
何にも囚われない、自分にだって囚われない、本当の自由を産む作品
私は見ることから自由になれない
見えるということはとても不自由だ
生きることがとても不自由なのと似てる
 
こういう感覚をずっと背負ってくなら、きっと音楽やるべきなんだ
来年も続いてたら いいなああああ
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