終わり続ける世界

社会が悪い、環境が悪い、親や子供が悪いというのなら、何が悪いということがわかっているんじゃありませんか。なぜなら、それらを悪いと判断したのは、自分のよい部分なのですから。白があるからこそ、黒の黒さがわかるのです。まるまる自分が悪い部分だけで占められているのなら、何が悪いのか、自分も社会も何も悪いという判断すらつかないはずなのです。 闇夜の鴉と同じで、真黒い自分が真黒い社会や環境の中にいたら、べつだん腹を立てたり、不満ですねたりするより、ごく自然にぬくぬくときげんよく、いごこち満点でいられるはずなのです。ちょうど、悪魔が魔界にいるように。 それが社会や環境、家庭問題で腹を立てるだけの良心があるということは、まだ黒を黒いと感じ、際立たせるだけの白さがあるからこそなのです。その白さとは、純粋さ、素直さ、デリケートな心です。ですから、わずかにでも残っている自分の白い部分を武器にして、黒い社会や黒い家庭、黒い環境に影響されている、自分の中の黒い部分を消していくように戦えばよいのです。自分の中の白の領分を拡大していくことです。それがほんとうの意味のおとなになるということです。    ---美輪明宏『人生ノート』 「3 子供の教育・親の教育」より

 
白にも黒にも染まれない、ひとつの身体の中のひとつの心に相反する色、矛盾を抱えること
森さんのいう綺麗な矛盾もこういう風に置き換えれば分かり易いかも知れない
でもまたそこに、固定したグレーっていう色を置いてそれに染まってしまうと、黒で白を塗りつぶすことも、黒で白を塗りつぶすこともできなくなってしまう。
その曖昧さを以て、何が黒で何が白かも判断できなくなってしまう。うちの今の心理がちょうどそんなとこだと思う。
これの何が悪いのか、良いのか、作品に対してだともっと不確定で曖昧なものになるんだけど、その曖昧さこそが作品の意義だと思ってるんだけど、
そうなると作品を評価するっていう行為が愚かだと感じる。
あー、だからインタラクティブとかが流行るのかな?だから美学とかを持ち出すのかな?(美学だってちゃんと勉強してないです)
あー分からない、分からないのは、言葉がみつからないだけかも知れない。
本当は何が白で黒か分かってるのにそれを定義できるだけの言葉を持ち合わせていないから「分からない」に逃げるのかも知れない。たぶんそうだ。
 
白でも黒でもないグレーゾーンをみつけて生きるのが上手いやりかたなのかな?
白と黒のバランスをとるのが賢い生き方なのかな
何が悪くて何は良いのか、そういう決断をしないと始まらないのかな
決断して、修正して、また決断して、そういう柔軟さを以て生きて行けたらいいと思うけど、
難しいよ うちには
 
できれば、まだ、途中なんだって、信じたい
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