対話型

インタラクティブか 自分の作品ではどうなんだろう
対話する気はないかも知れない 対話 大事なのになぁ
でも作品ってよばれるものって絶対に鑑賞者が存在している訳だから、それだけでインタラクティブだということだってできるんじゃないか
作品を見てくれているというのは歩み寄ってくれているわけだし、そこには理解のための優しさがあるし、
でもそれと「対話」との違いは、情報量とか、作品をつくる側の優しさの程度だと思う
森氏のいう「優しさ」の定義をここで用いるなら、私の作品はある人には優しいし、ある人には優しくない。はっきりしている。
でもインタラクティブを売りに、というかそういう風に呼ばれる作品は、見る人にとって重たくないし、とても優しい。
割と簡潔な関係というか、潔く理解を諦めているというのか、目的が分かり易い。だから優しい。易しいともいえるか?
でもそこには誰がいるんだろうとか私は思ってしまったりするわけで
感情のひとつとして、楽しいとか感動とか知るとかっていうことはとても大切ではあるけど、それはなんていうかな、
その場凌ぎの、娯楽みたいな要素をとても孕んでいるように感じる
人間は変化するから矛盾するし、その矛盾を取り除いたり不自然なかたちで落ち着こうとしたりとかするのって、そうしようとすることはいいけど、達成されてしまうととても空虚なものになるんだと思う。
でもこうやって、揺れ続けることに拘るのもあんまりよくない。ゆら帝のいうように、意味を求めて無意味なものがなくなってしまう。それはだめだー。
拘るっていうのに囚われがちだから本当に。その時々に感じたことをそのまま覚えていられたらいいのに。
鶏肉倶楽部 (F×COMICS)