徒然

昨日は小・中学の同窓会でした。
あんまり綺麗な写真がない…一眼持ってったらよかったー
久しぶりにスカートはいたら、寒かったです。
 
中学は反骨精神というものが芽生えた場だったので
やっぱり違和感がありました。やっぱり変な学校だった。
同時に、工芸や嵯峨の存在をとても有り難く感じました。
もう自分に、生き方として美術が根付いたんだなぁとフワッと思いました。
美術っていう選択肢のあるこの世界は素敵
逃げじゃないって今ならなんの躊躇いも無く言える
お前のやろうとしてることは綺麗事だって言われたことはやっぱり忘れないから
その言葉に対してどういう言葉が有効なのかずっと考えてる
 
綺麗事ってなんだろう
ヤフー辞書では↓
1 実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。「もはや—では済まされない」「—を並べる」
2 手際よく美しく仕上げること。
「綺麗なこと」の定義が1と2では違うってことかな…
美術より現実の方が、今のうちにとってはよっぽど「綺麗事」だ
これはすごく難しいところだけど
「綺麗事」を「理想」と言い換えられるなら
現実は理想的で 美術はリアルそのもので…
現実も確かに厳しいんだけど、なんていうかな
痛いことや悲しいことや複雑で曖昧ななんかが全部、生(ナマ)で存在するのは
現実より美術にある実感があって
それが美術だとも今は思っていて
うまく言えないけど
平和について前に考えたことと繋がってくる気がする
戦時中に当時誰もが夢見た「平和な世界」に今私たちは居て
現代人はその夢の住人であるような共通感覚をどこかに抱いていて
実際に夢(平和)を現実に落とし込んできた団塊の世代がそろそろ引退で
彼らの夢の中に置き去りにされたような今の時代は
一体何の夢を見るのか
それがセカイ系のいう世界の終わりなら
終わったあとの世界では何が有効なんだろうとか
終わらせたがる=知りたがる ということにこの前気付いたりして
今ほんとうは何を知りたいのか とか
何が欲しいんだろう とか
エウレカの映画でホランド
「自分の夢を見ろ!」とゆったけど
平和っていう大きな夢を「みんな」で抱いて達成されて
今は「個々で自分の夢を見ている」のだとしたら(それこそi podでしているような行為)
美術にできることは
もっと奥底にある、共通感覚を呼んで
寂しさを克服したりだとか…?
………うーん
とにかく、綺麗事=平和な現実=誰かの夢/理想 がもう無効なら、
リアル=個人のセカイ観=無数の真実、の中にある希薄な共通感覚を
どう立ち表すことができるかなぁって いうのを考えてます。
そういう意味でも、ミスチルやマイケル…つまりポップの持つ力について、
そういうことも考えてます。
現代のポップの本質が、この二人にはある と思う
 
理屈っぽくなることに躊躇いがなくなるのが最近危ないなってなんとなく思うけど
どうしたって不安で意義を探してしまう
モダニズムポストモダンもここに絡めると思うんだけど…
勉強しなきゃ 本も早く読んでしまわないと
卒制間に合うかーなぁ

作家たちのモダニズム―建築・インテリアとその背景

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